美しすぎる石

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 解かれるゲノムの螺旋。ネットワークのごとく張り巡らされた遺伝の世界地図を、国から国へ、世代から世代へと辿り時間を遡る血の歴史。辿り着いた先の”ひとり”。楽園の最初の住人にして最後の住人を蘇らせるべく、神ではなくヒトの手で造られた体には、所詮未熟な精神しか宿れなかったのか。それともイヴの暴走を恐れたアダムの策略の結果だったのか。生まれた時に与えられたのは祝福ではなく、解かれることのない命題だけだった。

   最初に作られた人格が、最後の裏切り者の名前を冠することになったのは果たして必然だったのだろうか。

 硝子の柩の側に膝をつき、ユダはその中で眠る主の頬を撫でる。優美な曲線を描く長い睫毛が閉じられた瞳を飾り、染みひとつ、ほくろひとつない雪のような透明感を持った肌は、触れるとしっとり手に吸い付く。底の厚い硝子の柩の周りには、長い背もたれの椅子が円形に並べられている。のっぺりとした意匠のそれは全部で二十四脚。殆どが空席で、埋まっているのはわずか二脚に過ぎない。

 間に七つの空席を置いて、ひとつには十代の少年が、ひとつには二十代後半の女性が座っていた。暗闇に慣れたユダの目には、少年の髪がくせ毛の金髪であることが、そして女性の髪が鮮やかな赤毛であることが見てとれる。二人は椅子に腰掛けつつもそろって首を垂れており、女性は長い脚を組んで、少年は膝を折って両足を椅子に乗せながら眠っていた。

 女性から左、少年から右に七つ移動すると、そこがユダの椅子だった。エデンの園と呼んだ研究所で、研究者達は自分達が何を生み出したのか完全には理解していなかった。”終わりのイヴ”は生殖能力を持たない男性として生まれ、未熟な精神は生まれてすぐにイヴとは別の人格を生み出した。それがユダだ。多産なイヴはしかし、自分の体を痛めることなく、ユダ以外にも次々と新しい人格を生み出しては、殺していくのだった。席を用意される暇もなく、少なくとも七十七人の人格が生み出され、そして消えていった。用意された椅子にようやく座ることができたのは二十四人。エデンの園という楽園とはかけ離れた異形の施設から抜け出すまで、二十四人はそれぞれの役目を持って主人格である流華を守ってきた。

 流華堂という店に落ち着いてから、十二人が一度に消えた。それから徐々にひとりずつ消えていき、空席が目立つ今はユダと、エリザベス、そしてマイクの三人だけだ。今晩、二人は眠っており、ユダと、そして流華だけが起きている。夜は流華の時間だ。店に出て、実際に修理の仕事をこなせるのは流華だけだから。体は流華の意思に従って、店を開けて客を待っている。今日は大輪の牡丹が咲く、碧玉色の小袖を着ていた。

 ユダの時間は特にない。ユダは生まれてから一度も眠ったことがなかったから。体を休める時には他の人格を起こし”場所を譲る”だけで、ユダの意識は常に覚醒状態にあった。他の人格を自由に起こしたり、逆に眠らせたりできるのもユダだけだった。それが主人格の流華であっても、ユダは強制的に眠らせることができる。そうしなければ流華を守れないと判断した時にしかやらないが、最近流華の周りが五月蝿くなってきているから、気は進まないながら、ユダが強権を発動する回数も多くなっていくだろう。そんな事情を、流華だけが知らない。元々、主人格とはそういうもので、交代人格達が互いに互いを知っていても、主人格だけは交代人格達のことを認識しないものだ。この場合、特殊なのはユダという人格だけ。一番長く意識を保っているとすれば、流華よりもユダの方が主人格にふさわしい。けれどユダは”主”ではない。”主”にはなれない。


 だからこそ、最後の裏切り者の名前を冠したのだ。


 その夜の客は用心深く目元をサングラスで隠した年配の男性で、左手にマホガニーのステッキを持ち、頭につばのない円筒型の帽子を被っていた。三つ揃いのスーツはまるで喪服のような漆黒で、帽子も同じ色だ。皺の濃く刻まれた顔は青白く、唇だけが目立って赤い。この様子で店まで一人歩いて来られたとは驚きだ。まるで今にも死にそうな顔をしているというのに、そのサングラスに遮られた視線だけが、やけに強い生命力を帯びている。

 異様とも言える視線の強さを持つその客を、ユダは流華の瞳でよくよく観察した。流華には危険を察知する能力というものが欠けているから、何か不審を感じることがあればユダがエリザベスを起こして流華を守らなくてはならない。しかしどう観察しても肉体的な危険が及ぶとは考えにくいし、その強い視線は流華に向けられたものではなさそうだ。

「お品は宝石と伺っておりますが、見せていただいても?」

 一階の、喫茶店のカウンターよりも一段下がった修理用のカウンターに移動して、客を座らせると、流華は早速切り出した。世間話をするような客でもなさそうだからだろう。案の定、客は無言でスーツの内ポケットから布に包まれた拳大の荷物を取り出した。無造作にカウンターへ置くと、重そうな音がごとりと響いた。

 男性の手袋に包まれた手が離れると、流華は細い指先で黒い絹の布を摘み、そっと閉じた花弁を押し広げるようにして布を剥ぐ。重なりを三つ剥ぐと、最後の四つ目ははらりと自然に木の天板に落ちた。現れたのは大粒のダイヤモンドだ。だが通常のダイヤモンドよりも青みがかっていて、黒い絹の布の上ではまるでサファイアのように見える。流華はその宝石をひとめ見て、熱っぽい溜息を漏らした。黒の絹ごと持ち上げ、慎重に電子計測器にかける。

「これは……美しい。ハートシェイプカットのブルー・ダイヤモンド。40.20カラット。スミソニアン博物館にあるホープダイヤには劣りますが、青みはこちらの方が濃い。素晴らしいものをお持ちですね」

 その間にも透明度を測りながら、流華は熱心にダイヤモンドを光に当て、インクルージョンや表面の傷を探している。ユダも同じ目でその珍しいブルー・ダイヤモンドを観察したが、流華と同じように表面にも中にも、傷らしきものを見つけることはできなかった。カットも職人業で、ダイヤの煌めきを最大限に引き出しており、完璧に整っている。修理屋に持ち込まれたということは、どこか修理するようなところがあってしかるべきだろうに、確認したところではどこにも欠点が見当たらないのだった。

 そう思ったところで、男性客がおもむろに口を開いた。嗄れた声。動く喉仏が薄い皮を下から押し上げるように上下するのがはっきりと見える。

「素晴らしく美しい。けれど、美しいだけでは不完全だ」

 少し甲高い音の混じる、けれど全体的には低く聞き取りづらい声だった。けれど発音はゆっくりと明確で、不完全という言葉がいやに大きく響いて聞こえた。

「見たところ、お直しするような傷はありませんし、洗浄も必要ないと思われますが」

 流華はサングラス越しに依頼主の目を見つめ、静かにそう言い返した。手にしていたダイヤを、黒の絹とともにカウンターに置く。カウンターの下から細いライトを取り出して、ダイヤを上から照らすと表面に光の尾が伸びて八方に散る。それはダイヤを通して絹の布にもきらきらと星のように散らばった。同じ光景を見ながら、依頼人は溜息のように続ける。

「美しさは完璧だ。傷も汚れもない。けれど……どうしても足りない。分からんかね」

 分からない。ユダは修理屋ではないから、男の言っていることが分からなかった。美しさは完璧で、傷も汚れもなく、大きさも十分な宝石に、一体何が足りないというのか。けれどユダは流華を通して、このブルー・ダイヤモンドの直すべきところを知ったのだった。

「……そう問われれば、分かりますとお答えしなければなりませんね。僕は修理屋ですから。壊れたものは分かります」

 流華の答えに、依頼人は店に入って初めて表情のようなものを浮かべた。

「どう直せばいいかも」
「えぇ、もちろん」

 おそらく男は笑ったのだろう。実際にユダが目に出来たのは、その哀れなほどに浮き上がった喉仏が、軽く上下に動いただけの変化だったのだが。

「では直してもらおう。呪いの力を失ったブルー・ダイヤに再びその力を」

 そう言って、男はダイヤを置いたまま立ち上がろうとした。当然のごとく、直せると請け負った修理屋に、修理品を預けるつもりなのだろう。けれどそうはいかない。椅子を膝裏で押しながら席を立とうと杖をついた男の視線が下に落ちたまさにその瞬間に、ユダは流華を”眠らせた”。交代はいつも通り速やかに行われ、一瞬であれ制御する人格を失った体が傾くより前に、ユダは腰に巻き付く帯の圧迫感を自覚する。

「……承ります。けれどダイヤをお預けいただく必要はありません。そのダイヤはお持ち帰りください」

 その口調は、抑揚さえも流華と同じ。ましてや一度しか訪れることのない客に、彼との違いが分かるわけもない。カウンターに取り残されそうになったブルー・ダイヤモンドを絹の布に包み、そっと依頼人に向かって押し出す。依頼人はサングラスに隠しきれない眉をぎゅっと顰めた。

「それでダイヤを”直せる”と?」

 直せるはずだ、それが修理屋としての能力なのだから。ユダは眠った流華の代わりに、確信を返事として返す。

「えぇ、仕事は確かに承りました。修理は三日後の満月の夜に完了させますので、お確かめを」

 疑い深そうな依頼人は、ユダの自信に満ちた答えに満足しなかった。

「…………もし仕事が出来上がっていなかったら?」

 その時には他の誰も、依頼品を直すことができないというだけのことだ。品を預かろうが預からまいが、修理屋に直せないとすれば、他に直せる者などいない。ユダはそう思ったけれど、流華の顔でにこりと微笑んで、丁重に繕って返した。

「その時は前払いいただきました料金をすべてお返しいたします。勿論、そのようなことは起きませんが」

 付け加えないわけがいかないユダの一言に、依頼人はそれでもなお不信感を拭えない様子だったが、粘っても店主がダイヤを受け取らないことだけは沈黙の間に理解したのだろう。

「……いいだろう。では、ダイヤは持ち帰ることにする」

 渋々といった呈ではあったが、持ってきた時と同じように、その心臓の形をしたダイヤを懐にしまった。

「では、三日後に」


 そして三日後の夜がやってくる。流華はいつものように目を覚まし、そしてユダはいつものように流華を見守っていた。先程までマイクが起きていたけれど、早々にお目当ての情報を手に入れて、今は椅子の上に両足を乗せて眠っている。寝間着代わりの襦袢から、流華はもそもそと着替えを済ます。今日は着物ではなく、襟ぐりの大きく開いたパステルグリーンの長いセーターに、ショートパンツで済ませるようだ。店を開けるつもりはないらしい。

 ベッドとリビングを隔てるように設置されたカウンターの上で、マイクが操作した立体映写機が電源を入れたままになっている。しかし流華は自分が操作していなかったその立体映写機を見ても、”誰が”操作したのかと考えたりはしなかった。ただふと思いついたように、立体映写機に近づいてその上向きに吹き出した光の中に手を入れる。

 鈴のような音がして、休止状態から回復した映写機は複数の立方体を浮かび上がらせる。流華はいつもの癖で着物の袖を抑えようと左手を上げたが、今日はセーターを着込んでいることを思い出して苦笑する。それから右手で青い立方体に触れる。するとその立方体が展開して、インターネットの検索サイトが開いた。少し迷ったように流華の指が揺れ、すぐに別の白の立方体に触れる。回転するその立方体から次々とアルファベットを打ち込んで、検索をかけた。

 呼び出したのはスミソニアン博物館。立体映写機を使って所蔵品を閲覧できるヴァーチャル・ミュージアムを開き、流華はひとつの所蔵品を呼び出した。映像が見やすいように、部屋の明かりは消したままだ。読み込みタイムラグもなく、所蔵品は映写機の中で三百六十度、回転しながら流華の目の前に浮かび上がった。青いハートシェイプカットのダイヤモンド。先日持ち込まれたブルー・ダイヤモンドと違って、裸ではなく周囲には小粒のダイヤが飾られている。

 マイクがその性能を嘆いていた型落ちの立体映写機は、しかしそれでも美しい宝石を見事に映し出した。流華はカウンターの椅子に座って、無心に浮かび上がる宝石を眺める。ユダも同じ目で、その宝石を眺めたが無心にはなれなかった。階下で扉の開く音が聞こえる。やがて階段を上ってくる足音。消そうと思えば消せるその足音をわざと響かせながら、二階へ顔を出したのは破壊屋だった。ユダはそれを気配で感じたものの、首は流華の意思に従って立体映像に釘付けだったから、破壊屋の姿が視界に入ったのは、彼が立体映写機の置かれたカウンターの反対側に立ってようやくだった。

「何を見ている?」

 上着をベッドに放り投げて、破壊屋は低く尋ねる。流華はその時になってようやく破壊屋の存在に気づいたが、もはや半分居候のような形になっている男の帰宅に、特に驚くことなく微笑んだ。

「今晩は、壊し屋さん。ちょっと、ヴァーチャル・スミソニアン博物館を見ていました」

 これです、と指差す流華の指先に触れて、ヴァーチャル映像がくるりと回転速度を上げる。破壊屋は回転する画像に手を伸ばし、手の平で強引に止め、目を眇めてその立体映像を見つめた。

「スミソニアンの……ホープ・ダイヤモンドか。欲しいのか?」

 事も無げにそう言って返す破壊屋に、流華は首を横に振って椅子から立ち上がる。

「欲しい、と言えば壊し屋さんは本当に手に入れてしまいそうですね。僕の手に渡る頃には壊れてしまっていそうですが」

 そして立体映写機の電源を入れたまま、さらに部屋の明かりを付けた。

「お前が直せるのなら問題はないだろう」

 立ち上がった流華の背にそう言って投げて、破壊屋はカウンターを回り込み、リビングのソファーにどかりと腰掛けた。その当たり前にこの家に居座る態度にユダは不愉快さを覚えたが、流華は別段何を思うわけでもないらしい。

「確かに。でも、欲しいわけではないので、本当に手に入れようとはしないでくださいね。今日終わった仕事が、丁度大きなブルー・ダイヤの修理だったものですから」

 立体映写機がまだホープ・ダイヤの姿を映している横で、流華はかちゃかちゃとカップを用意し始める。

「傷でもあったのか? それとも、欠けていた?」
「いいえ、どちらでも。ダイヤ本体には傷も曇りもなく、とても美しいダイヤでした。大きさは確かにホープ・ダイヤに劣るのですが、本物はやはりこの3Dとは比べようもないほどに」

 カウンターの下の棚から珈琲豆を取り出してから、流華は立体映像を指先で弾く。

「ではどこを直した?」

 不審げに眉を寄せる破壊屋に、流華は嫣然と微笑んだ。

「性質を」
「性質を?」

 鸚鵡返しに呟いた破壊屋に、流華はゆっくりと頷いて、優雅に回転していた立体映像を、今度はそっと手を添えて掴まえる。

「そのダイヤを手にした者は、次々と不可解な死を遂げる」

 流華の言葉に、破壊屋は片眉だけをちょいと持ち上げた。

「その手の怪談話は殆どが眉唾ものだと聞いたが?」

 実際そうなのでしょうね、とあっさり流華は答える。ユダの目には流華の細い指が映り、その指は映像のダイヤモンドの縁をなぞるように滑った。

「人はその身の不幸を、何かのせいにしたいのではないでしょうか。例えば悪魔の、例えば神の、運命の。そして例えば、美しすぎる宝石のせいに」

 珈琲豆の入った容器の蓋を開けて、適量を取り出しミルで豆を挽く。それだけで周囲に珈琲の豊かな香りが広がった。コリコリと豆を挽く音をさせながら、流華は歌うように続ける。

「過ぎるものはすべて、人の身には堪え難い。美しすぎる人は薄命だというでしょう? 充足するどころか不足ばかりの人間達にとって、過ぎるものはすべて有害なんですよ。そうやって美しすぎる宝石は、人々の不幸をラベルのように貼付けられて、それを読んだ人々の間にもまた、ラベル付けが盛んになる。目に見えないラベルはやがて、宝石の中にしみ込んでいくのです。けれどいつの間にか、しみ込んだラベルの文字を解さない人ばかりになってしまって、呪いの力は消えてしまう」
「それを、お前が直した?」
「ええ、品を預かることはしませんでしたが、今日ちゃんとお直しできました」

 珈琲豆が挽き終わり、流華の手が止まった。破壊屋は眉を少し動かして、意外そうに言う。

「品を預からずに、直したのか?」

 破壊屋が流華堂に入り浸るようになってから、流華が修理品を預からなかったのは初めてだ。だが破壊屋はそんなことができるのか、とは言わなかった。自分だって、いつでもモノを壊すわけではないのだから、破壊屋にできて修理屋にできないとは考えないのだろう。

「そうですよ。だって、預かるわけにはいかないでしょう? 一時的にであれ、”そのダイヤを手にした者は不可解な死を遂げる”のですから。直したその瞬間に、そのダイヤは再びその文字を浮かび上がらせる。再びその文字が読めなくなるまで、呪いのラベルを上書きされていく。それが正しい姿なら、僕が直した通りになるはずです」

 流華は挽いた珈琲豆を先にセットしていたサイフォンにかけた。沸騰した湯に、豆の香りと色が移っていく。

「それがそのブルー・ダイヤの本来の性質だったのか?」

 破壊屋の質問に、流華は自身も首を傾げながら考えつつも答えを返す。

「本来の、というと違うのでしょうね。だって石は石です。それ自体が呪いを発したり、死を招いたりするでしょうか。ただその透明度が、美しく星形に反射するそのカットが、鏡のように持ち主に跳ねかえる。それは一種の被害妄想かもしれないですね」

 人の欲望を、その身の不幸を、美しすぎるからという理由でただの石に転嫁する。弁明も許されない宝石は、ただその美しい輝きに人の貼付けたラベルを纏い、吸収していくのみ。さて、一体不幸は誰のせいなのか。

「死人の胸に飾られた、美しすぎる宝石、か」

 正に言い得て妙だ、とユダは思う。依頼人のことなど何も知らないはずなのに、妙に符合するではないか。それが”破壊屋”の性質なのかとさえ思える。マイクの得た情報を、ユダは知っていても流華は知らない。薄気味悪い符合にユダが気分を損ねても、流華には影響しないのだ。

「さてそれが宝石によるものなのか、それを見た人の印象によるものなのか、僕には分かりません」

 軽くそう返した流華は、呪いだの死のイメージだのには興味もないといった様子でサイフォンの具合にだけ気を取られている。破壊屋はそんな流華を眺めながら低く呟く。

「炎に焦がれ、近づきすぎて火傷する。魅力とは纏う者の業なのか徳なのか。確かに俺にも分からない。……だがきっと、宝石自体にも業があるんだろうな」

 流華はそれを聞き取らなかったけれど、ユダは確かに聞き取った。まるで流華のことを念頭に言っているようなその言葉に、ユダはますます不快になる。元より破壊屋などユダには必要ないのに。

「ブルー・ダイヤほど大きくありませんが、美しい青の宝石はいかがです?」

 流華が破壊屋を気に入っているから、排除も思いとどまっているだけだ。朗らかに提案する流華が用意したのは、ブルーマウンテン。確かにそれも一種の青い宝石だ。豆を出した時から良い匂いをさせているその琥珀の飲み物を、破壊屋もいらぬとは言わなかった。流華は二つのカップを手にしてソファに近づき、ひとつを破壊屋の手に渡してから、その隣に腰掛けた。白く煙る湯気にふうと唇を尖らせて息を吹きかけると、ひとくちまず小さく口にする。そんな流華の隣で、破壊屋はそのまままだ熱い珈琲をごくりと飲み下す。空いている方の手をソファの背に置き、後ろから流華の髪を弄びながら、破壊屋は流華に言った。

「……ひとつ訊きたい」
「なんでしょう」

 珈琲の入ったカップを両手で包み込むようにして持ちながら、流華は破壊屋を見上げる。鋭い闇色の瞳が、何の感情も宿さずに流華を見下ろしているのを、ユダは奇妙に思う。

「お前が直したブルー・ダイヤは、”直し終えた”時、誰の持ち物だった?」

 破壊屋の流華に対する執着心は異常なくらいだと思う。この男の性質を考えれば余計に。そのくせ、時折こうして妙に冷めた目で流華を見つめる。それはまるで、自分に向けられているようだ、とユダは錯覚するのだ。違和感はあるのかもしれないが、破壊屋はまだ自分やエリザベス、マイクの存在に気づいてはいないはず。

「さあ、今回は納品をしていないので分かりません。依頼主がこの三日のうちに誰かに預けたか、修理屋の腕を疑って自分で持っているか……」

 分かるはずがない。流華とユダの違いなど。けれど一体。

「何故そんなことを気になさるんです? 壊し屋さん」

 流華の問いに、破壊屋はふいと視線を反らせて、手にしていた珈琲を再度口に運んでから呟いた。

「いや……それも業か、と思っただけだ」


 それから数日後、さる元富豪の遺産として大粒のブルー・ダイヤモンドが競売にかけられた。十年前に零落したその富豪が、心臓発作で倒れたその時、内ポケットに入っていたそのダイヤモンドを握りしめていた。ハートシェイプカットのブルー・ダイヤを、その手から抜き取るのは一苦労だったという。しかし発作を起こした自分の胸元で手を握るならまだしも、何故元富豪はダイヤモンドを握りしめたのだろう。

 零落した後も、金に換えず残していた自分の最後の財産を誰にも取られないようにするためだ。

 いや、発作はそのハートシェイプカットのダイヤモンドのせいだと、そう思い込んで自分の身から引き離すつもりだったのが結局力つきたのだ。

 様々な憶測が飛び交ったが、競売にかけられたそのブルー・ダイヤモンドの美しさは資産家達の視線を釘付けにした。個人の手に渡ることは望めないスミソニアン博物館のホープ・ダイヤに勝るとも劣らない価値。特にこの時代新たな大型の天然石が市場に出回ることはないのだ。それこそ誰も相続者のいない遺産が、こうして競売にかけられる以外に。

 家族もなく、再興することなく没落したまま死んだ男の冥福を少しでも祈る者は、その会場に一人もいなかった。昔ながらの方法で、手を挙げながら値段をつり上げていく資産家達の、その亡者のような手を次々と読み上げる競売人。掲示板に表示されるディジタルの数字はどんどんと書き変わる。

 果たして、ブルー・ダイヤモンドは落札された。死んだ男の零落の原因を作ったとも噂される富豪の手に。マイクがその様子を監視しながら、ユダに伝える。ダイヤモンドは”無事に”落札された。呪われたダイヤモンドの第一の犠牲者となることを、依頼人が望んだかどうかは分からないが、それでも彼の目的は果たされるだろう。競売にかければ必ず落札するであろう男を呪い殺すことが、依頼人の望みだったのだから。もしかしたらそれ以上の犠牲者が出るかもしれないが、そんなこと、依頼人もユダも気にはしない。もちろん、美しいだけのブルー・ダイヤモンドも。

「そう、それも業だ」

 ユダは同じベッドに横たわり、髪を撫でる破壊屋の手を感じながら、硝子の柩で眠る流華の頬を撫でる。これも業。すべての柵から自由なのは、流華だけ。この世界は、流華だけが自由でいられる世界でなければならない。だから壊させてはいけない。例え流華の想いを裏切ったとしても――。

「それでこそのユダなのだから」

 本来の性質というのなら、それこそ神に与えられた裏切りの使命を実行することこそがユダなのだから。


*参考までにスミソニアン博物館:ホープ・ダイヤモンド;http://www.si.edu/Encyclopedia_SI/nmnh/hope.htm

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